バプテスマのこがね

こんにちは。このブログを読みに来てくれてありがとうございます。私は、イエス=キリストを信じるクリスチャンです。私は、憧れの人イエスのように、優しく生きたいと強く願っています。そんな私が日々思ったこと、感じたことを書いています。

「インマヌエル」と「RPG」(前編)

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが,二人が一緒になる前に,聖霊(せいれい)によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので,マリアのことを表ざたにするのを望まず,ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると,主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ,恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは,主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

「見よ,おとめが身ごもって男の子を産む。

 その名はインマヌエルと呼ばれる。」

この名は,「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると,主の天使が命じたとおり,妻を迎え入れ,男の子が生まれるまでマリアと関係することは無かった。そして,その子をイエスと名付けた。(マタイによる福音書1章18~25)

 

 この聖書個所は,新約聖書の中の最初の書物である『マタイによる福音書』の冒頭にあります。新約聖書の中には「福音書」と名の付く書物が4巻ありますが(他三つはマルコ,ルカ,ヨハネによる福音書。これらを総称して四福音書と呼びます),マタイはその中で最初に配置されています。そして,この箇所はイエス様の数多くある称号の一つである「インマヌエル」の初出箇所です。「インマヌエル」は,私が最も好きなイエス様の呼び方の一つです。なぜなら,聖書の神様はこの世のあらゆる事物を超越した,人間には近づき難い存在です。そんなに尊いお方が,私たちとともにいてくださる。これって,本当に素晴らしいことだと思いませんか?私は,本当にありがたいことだと思います。

 

さて,皆様は「SEKAI NO OWARI」(通称セカオワ)の『RPG』という曲を聞いたことがありますか?私はこの曲を聞くたびに,「インマヌエル」,つまり神様がいつもそばにいてくださる,ということを思い出します。どういうことなのか,ご説明いたします。

 

 空は青く澄み渡り 海を目指して歩く

 怖いものなんてない

 僕らはもう一人じゃない

 

大切な何かが 壊れたあの夜に

 僕は星を探して一人で歩いていた

 ペルセウス座流星群 君も見てただろうか

 僕は元気でやってるよ 君は今「ドコ」にいるの?

 

 「方法」という悪魔に とり憑かれないで

 「目的」という 大事なものを思い出して

 

空は青く澄み渡り 海を目指して歩く

 怖いものなんてない

 僕らはもう一人じゃない

(諸事情により,歌詞の一部分だけを載せています。全曲を聴きたい方は,こちらから!https://www.youtube.com/watch?v=Mi9uNu35Gmk&index=2&t=0s&list=PLl2jjdlO50CnjBgnxpmeSFtP821bJ2LGf

 

 

結論から先に申し上げますと,この曲は自分と神様(インマヌエル)との関係を歌ったものだと解釈できます。どういうことでしょうか?私はこの詞を主人公の「僕」に感情移入して読みました。この曲に限らず,歌詞や物語を鑑賞するときはだいたいそうしています。ですから,読者の皆様もここから先は,主人公の「僕」になったつもりでお読みください。

 

「空は青く澄み渡り 海を目指して歩く

  怖いものなんてない

  僕らはもう一人じゃない」

 

まず,僕はもともと一人で寂しかったが,今は仲間がいることが分かります。雲一つない晴天の下,「僕ら」が海を目指して冒険の旅路を行く,そんな光景が目に浮かびます。

 

「大切な何かが 壊れたあの夜に

  僕は星を探して一人で歩いていた」

 

大切な「何か」。これは一体何のことを指しているか。様々な解釈があると思いますが,私は「仲間」を失ったのではないかと思いました。野盗に襲われたのかもしれませんし,敵との戦いに敗れたのかもしれません。あるいは,山で遭難して離れ離れになったのかもしれません。ここで大事なことは,その仲間のことを僕が,大切に思っていたことです。いずれにせよ,仲間の喪失というつらい経験を僕は「大切な何かが壊れた」と,歌い上げたのです。仲間を失った夜に,僕は悲しみを背負いながら,夜空を見上げました。涙を流しながら,僕は星を探しています。

 

ペルセウス座流星群 君も見てただろうか

僕は元気でやってるよ 君は今「ドコ」にいるの?」

 

夜空を見上げると,美しい流れ星(シューティング・スター)が見えました。ペルセウス座流星群です!ここで,「君」が初登場します。「あの日見た美しいペルセウス座流星群,君も見ていた?僕は元気だよ,あなたは今どこにいるの?」と僕は言います。「君」と呼ぶからには親密な関係だということが推察されますが,具体的にどんな人なのかまではわかりません。まして,僕は君の現在の所在地も分からないそうです… 謎ですね

分からないときは辞書を引きましょう!(と,学校で習いました(笑))明鏡国語辞典によると,君とは「①自分が仕えている人。主君。君主。②敬意や親愛の情をこめて他人をいう語」だそうです。普通は②の意味で使うことが多いですが,ここではあえて,①の意味で使ったと考えます。いや,厳密に言うと,①と②の両方の意味で使いました。つまり,僕は自分の主君に対して,(親しげに)君と呼びかけたのです。これって常識的に考えて普通じゃないですよね?実は,これこそ「RPG」と「インマヌエル」を繋ぐ鍵となります。

少し長くなったので,今回はここまでにします。続きは,後編で語ります。次回もお楽しみに!

 

今日のお祈り

天の父なる神様,聖なる御名(みな)を賛美いたします。

神様,御子イエスを世に遣わし,この方が我々と共にいてくださる,ということを証してくださり,ありがとうございます。神様は遠く離れた場所におられる方ではなく,いつも私たちのそばにいてくださるということ,この御恵み(みめぐみ)に感謝申し上げます。本当にありがとうございます。

このお祈りを,イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン!