さて,イエスは悪魔から誘惑を受けるため,”霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間,昼も夜も断食した後,空腹を覚えられた。すると,誘惑する者が来て,イエスに言った。「神の子なら,これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』
と書いてある。」(マタイ4:1~4)
さて,今回からは「イエスってどんな人?」と題して,私たちが信じるイエス=キリストとはどのような人なのか,ご紹介していこうと思います。本日の聖書個所は新約聖書のマタイによる福音書,4章の1~4節です。
イエスは,バプテスマのヨハネという人物から,洗礼を受けました。洗礼というのは,現代のキリスト教の全ての宗派において,入信するための儀式ですが,2000年前のイエスも洗礼を受けたのですね。その直後,何もない荒れ野に行き,40日もの間断食されました。もちろん,ダイエットしていたのではありません。その後の悪魔の挑戦を受けるためです。昼も夜も何も食べなかったのですが,40日目にようやく空腹を感じました。お腹がグーッと鳴ったのでしょうか?(笑)分かりませんが,そこに悪魔が来てこう言ったのです。
「お前が神の子であることを俺は知っているぜ?この辺に落ちている石をパンに変えて食っちまいなよ?そうすれば腹を満たせるぜ?」
イエスは地上において,神の子としての特権が与えられていました。それは普通の人には無い特別な力です。後で出てきますが,病気を治したり,悪霊を追い払ったり出来ました。しかし,それらの能力はあくまで人のために使うものであり,自分のために使うべきではないということをイエスは知っていました。自分の空腹を満たすためにその能力を使ってしまうと,父なる神様のご期待に反することになります。そこで,イエスは「申命記」という書物の中にある次の言葉を引用して反論しました。
「『人はパンだけで生きるものではなく,神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と
律法に書いてあるではないか?神に信頼する心こそが,一番大事なことなのだ」と。
皆様,この話を聞かれてどう思われましたか?私ならば真っ先に空腹を満たそうとするかもしれません(笑)しかし,それは神の子としてはふさわしくない行動でした。イエスは次のようにも言っています。
「わたしが天から降って来たのは,自分の意志をおこなうためではなく,私をお遣わしになった方の御心を行うためである。」(ヨハネ3:38)
それで,イエスは自らの飢えに抗ってまで,大切なことを教えてくださいました。それは,「私達が何によって生きているか」ということです。ありがたいことに,パンだけでなく私たちには毎日食事が与えられています。でも,それは究極的には,神様の口から出る言葉によって許されていることです。言い換えると,私たちは天の父なる神様に養われているということです。天の父なる神様が私達を養ってくださっているという信仰は,「主の祈り」の中にもあります。
神様が毎日ご飯を食べさせてくださっていることに感謝して,今日も生きてゆきたいものです。
最後に一言お祈り(神様と会話)します。
天の父なる神様。今日もこのブログに読者の方を導いてくださったこと,ありがとうございます。こうしてブログを読んだり,記事を書いたり,エネルギーを得るために食事をすることが出来るのも全て神様のおかげです。神様の深い恵みと豊かな祝福に感謝いたします。これからも,そのお口から出る一つ一つの御言葉で,私達を養ってください。
このお祈りを,わが主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン!