バプテスマのこがね

こんにちは。このブログを読みに来てくれてありがとうございます。私は、イエス=キリストを信じるクリスチャンです。私は、憧れの人イエスのように、優しく生きたいと強く願っています。そんな私が日々思ったこと、感じたことを書いています。

イエスってどんな人?(What is Jesus like?)②山上の説教(1)

心の貧しい人々は,幸いである,

   天の国はその人たちのものである。

悲しむ人々は,幸いである,

   その人たちは慰められる。

柔和な人々は,幸いである,

   その人たちは地を受け継ぐ。

義に飢え渇く人々は,幸いである,

   その人たちは満たされる。

心の清い人々は,幸いである,

   その人たちは,神を見る。

平和を実現する人々は,幸いである,

   その人たちは神の子と呼ばれる。

義のために迫害される人々は,幸いである,

   天の国はその人たちのものである。

(マタイ5章3‐10節)

 

 今日の箇所は,「山上の垂訓」または「山上の説教」と呼ばれる個所です。教派によっては「真福八端」(しんぷくはったん)と呼ばれます(個人的にはこちらの呼び方が好きです)。

読んで字のごとく,「人間にとって真の幸福とは何であるか」を,偉大なる教師であるイエスが教えられました。この箇所は,訳者の方が本当に素晴らしい訳をしてくださったと思います。とても文学的価値も高く,美しい詩のような構文になっています。全部で8つの文章から構成されています。一文ずつ解説していきます。

 

Ⅰ 心の貧しい人々は,幸いである,

    天の国はその人たちのものである。

 「心の貧しい人々」は,直訳すると「霊において貧しい人々」となるそうです。つまり,自己の人間的貧しさに気づいている人々という意味です。一方,「天の国」とは,神の永遠の支配を指す言葉です。神様は,自分は強い人間だと自惚れている人ではなく,むしろ自分は弱い人間で,神様の助けが無いと生きていけない,という人の心を治めて下さる方です。

 

Ⅱ 悲しむ人々は,幸いである,

    その人々は慰められる。

  世の中には様々な悲しいことがあります。その中で代表的なものは,やはり身近な人を亡くす経験だと思います。しかし,キリスト者として強調しておきたいことは,死別=永遠の別れではないということです。キリスト教会では,福音を信じたものは皆天国に行くと教えています。それはつまり,クリスチャン同士ならば天国で再会する希望があるということを意味します。そしてその「希望」は,悲しむ人を慰める力があります。

 

 今回はここまでにします。最後に短くお祈りします。

 

天の父なる神様 御名(みな)を賛美いたします。あなたの愛する御子(みこ)イエス様が,私たちにとっての真の幸福を教えてくださいました。どうか神様,私たちの心が貧しいときに,あなたが私たちの心を治めてくださいますように。また,私たちが悲しむとき,慰めてくださいますように。今日もこのブログに読者の方を導いてくださったこと,ありがとうございます。彼らの上に,豊かな祝福をお注ぎください。

このお祈りをイエス=キリストのお名前によってお祈りします。アーメン!