バプテスマのこがね

こんにちは。このブログを読みに来てくれてありがとうございます。私は、イエス=キリストを信じるクリスチャンです。私は、憧れの人イエスのように、優しく生きたいと強く願っています。そんな私が日々思ったこと、感じたことを書いています。

『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』ーイエスは本当に生まれ変わりを否定したのかー

 上の文章は,聖書の中にある,ヨハネによる福音書9章2節に登場する,イエスの弟子の質問です。
 そして,この質問は,聖書から輪廻転生を考察する上で,非常に重要な箇所になると思います。ポイントは,イエスの返答にあります。「本人が罪を犯したからでも,両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」 その後,その人の目を癒すという奇跡を行い,人々を驚かせる訳なのですが,ここで私が注目したいのは,エスは何を否定したのか,というところです。イエスは,「前世の悪業の報いとして視覚障がい者として生まれたのか」という質問に対して,「そうではない。神の業がこの人に現れる(具体的には,イエスの癒しという奇跡を通して,イエスが神の子=メシアという証しをするため)ためだ。」とお答えになりました。つまり,前世の因果としての視覚障がいを否定しただけであって,輪廻転生そのものまでは否定していたとは,(少なくともここの文章からは)言えないのです
 このような質問が出た背景には(聖書に記述はありませんが),当時のユダヤ人が輪廻転生を信じていたということがあったと推察されます。そして,当時の宗教的権威(律法学者など)が,「この人たちは,前世で罪を犯したから,今障がいを持っているのだ」と教えていたのでしょう。そして,それが当時の常識であり,それに基づく差別も起きていたのだと思います。しかし,イエスの弟子はその常識に疑いを持ち,「この人が目が見えないのは,本当に「前世の」罪によるものなのだろうか」と考えて質問をした訳です。それは信じられないから,あるいは「両親の」罪かもしれないと考えて,そのどちらかですか,と問いかけました。しかし,イエスそのどちらも正しくない,生まれつきの障がいと,前世の罪あるいは両親の罪との間には因果関係が無い,と明確に否定された,と読むのが正しいと思います。
 そして,私の立場を表明します。私は,クリスチャン,すなわち21世紀に生きるイエス=キリストの弟子です。であるからには,私にとって最良の師であるイエス様のお言葉を全身全霊で支持させていただきます。つまり,私も,「前世の罪または行いによって,今世障がいを持って生まれてきたのだ」という考え方には,はっきり反対の立場を表明致します。現代ではさすがにこんな時代遅れの考え方をする人は少ないのですが,残念ながらいないわけではないのです。しかし,こんな考え方は障がい者への差別を助長してしまいます。はっきり言ってこの考え方は科学的根拠も無いし,聖書でもイエスがきっぱりと否定していらっしゃいますから,もし読者の方でこのような考え方をお持ちのかたがいらっしゃいましたら(恐らく,いないと思いますが(;^_^A)即刻このような考え方をやめることを強くお願いいたします。私は,この例のような間違った考え方及びそれに基づく差別が大嫌いですので,一日でも早くこの世から差別が無くなることを強く願っております。
 
 最後に一言お祈りいたします。天の父なる神様,今日もこのブログという恵みをありがとうございます。私は,差別を厭(いと)います。そして,主よ,あなたも同じように差別を厭う方だということを私は信じます。どうか一日も早く,根拠のない差別的な考え方と,差別がこの世から無くなりますように。このお祈りを,イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン!