バプテスマのこがね

こんにちは。このブログを読みに来てくれてありがとうございます。私は、イエス=キリストを信じるクリスチャンです。私は、憧れの人イエスのように、優しく生きたいと強く願っています。そんな私が日々思ったこと、感じたことを書いています。

『求めなさい。そうすれば、与えられる。』            ~人間が最も頼るべきお方の話~

(※この記事は、2022年5月28日に更新されました。)

 

  『そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門を叩きなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門を叩く者には開かれる。

あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。

(マタイによる福音書11章9-13節、太字は筆者による)

 

  こんにちは。

  今日も、私の好きな聖書箇所についてつらつらと書いていきます。

 

  今日は、『求めよ、さらば与えられん』という文語訳でも有名な箇所です。

 

  これは、イエス=キリストご自身が仰られた、とされている言葉です。

 

  この箇所で大事なことは、やはり「どんなことでも、父なる神様に願い求めることが大事」ということだと思います。

 

  私たちは、ともすればお金ブランド品名声SNSのフォロワーやいいねの数など、色々な「もの」を

自分の力で入手しようととしてしまいがちです。

 

 「承認欲求」や「物欲」を満たそうとするのは、生きる原動力となるため、それ自体は悪いことでは無いと思います。

 

 しかし、中には「金儲けのためなら人を騙してもいい」とか、

「人を悲しませてもいい」と考える人もいて、私はそれは違うと思います。

 

 何が正しい生き方で、どのように欲しいものを手に入れるか。それは、とても難しい質問ですが、全ての答えは神様がご存知です。少なくとも、そう信じるのが「信仰」なのです。

 

 聖書には、『人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。』*1と書いてあります。

 

 人間は絶対的な正解を知りえないから、何か正解を知っている超越的存在がいると信じることこそが信仰なのです。

 

 そして、その信仰の対象である「天の父なる神様」に、生きていく上で必要なものが与えられるように祈る、というのがキリスト者(クリスチャン)として正しい生き方だと思います。

 

 イエス様が、最後に『まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。』と仰ったのが、ポイントだと思います。

 

 天の父なる神様は、何でも願いを叶えてくださる方ではありません。自己中心的な願いは、基本的に叶わないと思った方がいいと思います(私も、経験があるので分かります笑)! でも、心の底から神様を求める人には、聖霊*2を与えてくださいます。必要なことは、聖霊が全て教えてくださいます。

 

 何も自分で「あれが欲しい」とか、「こうなりたい」と長ったらしく祈る必要は無い、ということなんですね。

 

 祈る時にはどのように祈ればいいか、ということは別の記事に書いているので、良ければこちらもご参照ください。

 

evahikaru.hatenablog.com

 

 さて、今回はここまでとします。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 読者の方が、天の父なる神様を求めることと、読者の方の上に聖霊様が豊かに働いてくださることを祈ります。

 

 God bless you !

 

 

 

 

*1:ローマの信徒への手紙3章4節

*2:目には見えない神様の働き。父、子(イエス)、聖霊の三つにして一つなる神のことを、三位一体の神と呼ぶ。