バプテスマのこがね

こんにちは。このブログを読みに来てくれてありがとうございます。私は、イエス=キリストを信じるクリスチャンです。私は、憧れの人イエスのように、優しく生きたいと強く願っています。そんな私が日々思ったこと、感じたことを書いています。

『命のパン』を食べる毎日を送っていきたい。

  『「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決してかわくことがない。」』

    ヨハネによる福音書 6章35節

 

  おはようございます。本日(2023/10/22)は、日曜日ですね。クリスチャンの方は、礼拝に行かれる方も多いと思います。

  私は残念ながら仕事で行けませんが、始業前にこの記事を書いています。皆さんが良い礼拝の時を持てることを祈ります。

 

  さて、突然ですが、皆さんは何の食べ物が好きですか? 私は、カレーやシュークリームやモンブランや...挙げていけばキリがありませんが笑

  でも、私は日本人なので、日本人としての誇りを持って、和食の中で好きなものを挙げたいと思います。私は、納豆と、寿司と、天ぷらが好きです。天ぷらは、えび天が1番好きです🍤( '-' 🍤 

 

 

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↑エビチャン。サクサクの衣と、プリプリのエビの組み合わせが最高!!!!

 

 

  ただ、これらの食べ物は、残念ながら食べ過ぎると太ってしまいます。逆に、食べなければ飢えてしまいます。しかし、聖書には食べるものが決して乾くことが無い、『命のパン』があると書いてあります。

  それは、イエス=キリストご自身のことです。

エス=キリストは、ご自身の語る御言葉を聞く者が、決して乾くことがない=不幸になることが無いと宣言されたのです。つまり、命のパンとは、ご自身の教えの比喩のことです。

 

  イエスという人は、自分勝手に人々に語られたのではありませんでした。神様がいつもイエスと共にいて、イエスに語るべきことを教えられました。イエスには、イスラエルの神に対する、確かな信仰がありました。そして、イスラエルの民と全ての人類を救済することが、ご自身の使命であることが分かっていました。

 

  神様は、愛の神です。全人類を等しく愛しておられます。神様にとっては、人類が罪の中で不幸に生きていることを見るのが、とても辛いのです。

 

 故に、神は全ての人を救済するために、ご自身の独り子イエスを世に送り、その御心を彼を通して人々に伝えました。その言葉をまとめたのが、聖書という書物なのです。

  

  

  まとめると、命のパンとはイエスの教えであり、唯一にして真の神様の教えです。

  そして、その御言葉を聞き、よく守って生きる者は、必ず救われ、幸せに生きることが出来る、と聖書には書かれているのです。

 

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『心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう』~清い心の持ち主とはどんな人なのか?聖書から考えてみる~

  こんにちは。涼しくなってきましたが、皆様いかがお過ごしですか?

  

  私は寒さには弱い方なので、今のうちから来るべき冬に備えて対策をしようと考えています

(。`・ω・´。)

 

  さて、本日ご紹介する聖句は、マタイによる福音書、5章8節のみ言葉です。

  

『「心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう」』

 

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  世の中には、様々な価値判断の基準があります。その中でも、「幸せ」については、大きく意見が別れるテーマのひとつだと思います。

「お金を沢山稼ぐこと」が幸せという人もいれば、「結婚して家庭を持つこと」という意見もあれば、「仕事終わった後に、冷えたビール🍺を飲むこと」だと言う人もいます。

  もちろん、正解は人それぞれだと思いますが、

しかし、聖書では一貫して、『神に従い、生きることの幸せ』が説かれています。

 

  しかし、神様を信じるためには、ある程度の心の清さ(綺麗さ)が必要なようです。ただ、神様を信じているクリスチャンの心が、清いと言いたい訳ではありません。聖書によれば、人は皆神の前では罪人であり、生まれつきの義人 (正しい人)は、一人もいない のです。

 

  では、どうすればいいのでしょうか。

どうすれば、神様に心が清い、と認められるのでしょうか。 

  私は、清い心=正しい心 とも考えられると思います。

 

  そこで、聖書の中で正しい心について書かれているところを探してみました。

  すると、新約聖書の、『ローマの信徒への手紙』4章9節にはこう書かれていました。

 

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  『「アブラハムの信仰が義と認められた」』とあります。この場合の「義」とは、正しいという意味です。アブラハムとは旧約聖書の『創世記』の登場人物で、神を信じ、その信仰のゆえに子孫を星の数ほどに増やす、と約束された人物です。つまり、この箇所は、『神を信じるアブラハムの心が、正しい=清いと認められた』と、解釈出来ると思います!!!!

 

  ただ、そうは言っても、神様を信じてはいても、やはり罪を犯してしまうことはあります。

自分中心の心で、神様や隣人に迷惑をかけてしまうということです。

  しかし、それでも、『聖書の神こそ、信仰して従うべきお方である』と信じることで、少しは清い心の持ち主である、と認めてくださっているのだと思います。

 

  そして、神を信じる清い心を持つことで初めて、神様を見ることが出来るのだと、私は思います。

 

  ちなみに、後半の『神を見る』とは抽象的で難しい表現だと思いますが、私は「神様のことが分かる」とか、「神様のことを体感出来る」と解釈すれば良いと思っています※

 

  この記事を読んだ方が『神を見る』ことができるように、祈っています🍀*゜

 

    ヒカル

 

#キリスト教 #聖書 #イエス様 #福音書 #マタイによる福音書 #福音書 #アブラハム #旧約聖書 #新約聖書

 

『「神を畏れ、その戒めを守れ。」』~クリスチャンの先輩に受けた教え~

  おはようございます。

 

  本日は、私が先輩のクリスチャンに教えていただいた、思い入れのある御言葉を紹介いたします。

 

  その御言葉は、旧約聖書「コヘレトの言葉」(伝道者の書)12章13節にあります※ⅰ。

 

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  こちらの御言葉です。

  

  教えていただいたのは、私が洗礼を受ける前に出会った、大学の部活の先輩です。その部活はクリスチャンの集まりではありませんでしたが※Ⅱ

たまたま彼はクリスチャンでした。

 

  私が聖書に関心があり、教会に行きたいことを話すと、彼は「俺もクリスチャンだよ」とカミングアウトしてくれて、私の家の近くの教会を紹介してくれました。私はその教会に通うようになり、そこが後に私の母教会(ぼきょうかい)※III

になりました。

 

  話を例の御言葉に戻します。この御言葉を教えていただいたのはどういうタイミングだったのか、もう忘れてしまったのですが、しかし教えてもらったことははっきりと覚えています。

 

『全てに耳を傾けて得た結論』と、なにか重要なことが伝えられそうな前置きの後に、

 

『「神を畏れ、その戒めを守れ。」』

と、短くてシンプルな言葉でありながら、

力強い教えが続き、

 

『これこそ、人間のすべて。』と、印象的な言葉で、締めくくられる。

 

  ある意味、(文学として)完璧な構成と言えるのではないでしょうか。

 

  だから、私の記憶に深く刻まれたのだと思います。

 

  ちなみに、この言葉が乗っている『コヘレトの言葉』という書物は、良い意味で聖書らしくないというか。

独特の世界観が繰り広げられていて、文学作品としても高く評価されているそうです。名言が多く、キリスト教徒はもちろん、そうでない人からも共感が得られやすいそうです(Wikipedia『コヘレトの言葉』の項目より、詳しくは、こちらのリンクから👇

 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/コヘレトの言葉        )。

 

  ですから、クリスチャンの人はもちろん、そうでない人にもオススメしたい本になります。

 

  今日のブログはここまでにします。最後まで読んでいただき、感謝いたします🙇‍♀️

 

  多くの方が、素晴らしい聖書の御言葉(みことば)と出会われることを、心より祈ります🍀*゜

 

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※Ⅰ 旧約聖書は全部で39巻の書物の集合体です。『コヘレトの言葉』は、その中の一つになります。

※Ⅱ 私は将棋が好きで、当時は将棋部に入っていました。先輩も将棋が好きで部活に所属していました。

※III 母教会というのは、クリスチャンが直接所属している(会員となっている)教会のことです。基本的には洗礼を受けた教会のことを指しますが、様々な定義があるそうです。

 

 

  

 

『わたしたちが愛し合うのは、 神が先ずわたしたちを 愛して下さったからである。』

  皆さん、お久しぶりです。

  流石に暑さも少し和らいできて、少し過ごしやすくなりましたね。

  そろそろ衣替えをしないとな、と思う今日頃です。

 

  今日は、ヨハネの第一の手紙4章19節の御言葉を、シェアします。

わたしたちが愛し合うのは、神が先ずわたしたちを愛して下さったからです。

 

  イエス様、(ナザレのイエス)は、互いに愛し合うように教えられました。それは、ご自身の父である神様が、私たちを深く愛されていることをご存知だったからです。その教えを受けて、イエス様を神の子と信じるクリスチャンは、隣人を愛することを非常に大切にしています。

 

  そして、イエス様、キリスト=イエスは、神が私たちを愛されていることをご自身の生涯、お命を通して伝えられました。

  そのことは、聖書が証(あかし)しています。

 

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

                             (ヨハネによる福音書3章16節)

  

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   この箇所は、『聖書全体の要約』とも言われていて、非常に有名な箇所です。クリスチャンにも、とても人気があります!

 

   聖書を単に面白い読み物として読むのも良いですが、聖書は真の神とその御子(みこ)であるイエス=キリストについて証する書物であること。

このことを覚えて、多くの人が聖書を読んでくださることを、心から願って止みません🍀✨

 

  ヒカル

 

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旧統一教会の勧誘の手口(実話です) ~中編〜

  皆さん、お久しぶりです。

 

  少しの間、お休みを頂いていましたが、また今日から、ブログを再会しようと思っています。

 

  ここ最近忙しくなってきており、ブログ更新頻度が不定期になるかもしれませんが、暖かい目で見守っていただけると幸いです。少なくとも、1週間に1本は書こうと思っています。よろしくお願いします🙇‍♂️

 

  さて、今回は前々回の話の続きです。

まだ読んでいない方は、ぜひ読んでみてください。

https://evahikaru.hatenablog.com/entry/2023/08/20/155605

 

  大学1年生の時、入るサークルが決まっていなかった私に声をかけてきたメガネの男(名前を忘れたので、仮にAとします)。彼は、インカレサークルの一員だと名乗り、合わせたい男がいるともう1人の仲間を連れてきました。

 

  そして、彼ら2人を交えて、昼食を食べました(コーヒーを奢ってもらいましたw)。その後、Aが私に「見せたいものがある」と言って、一緒に空き教室の中に入りました。

 

  そうすると、おもむろにもう一人の男(Bとする)が、「幸せって何だと思う?」と聞いてきました。この時点でかなり、怪しいですね(笑) ただ、何も知らない私は、「お金を稼ぐこと、自立している事ですかね?」と答えた、気がします!気がする、というのは、昔(5年以上前)のことなので、ほとんど覚えていないからです。でも、幸せについてどう思うか聞かれたことは、はっきり覚えています。

 

  私の答えを聞いたBは、「このサークルでは、幸せになる方法について研究している。僕は、このサークルに入って、人生が変わった。君も一緒に幸せについて研究してみない?」みたいなことを言ってきました。 当時、友達もあまり居なくて、幸福感が低めだった私には、その提案は魅力的に映りました。※ⅰ そして、彼らは畳み掛けるようにある動画を見せてきました。

 

  その動画は、ある道においての、成功者の動画みたいでした。その人が幸せについて語っていましたが、正直内容は全く覚えていません!😄

それくらい、どうでもいい内容だったと思います。

 

  ただ、A(最初に声をかけてきた男)が、何故か周りを気にしていたのは覚えています。その空き教室は完全な無人ではなく、他に学生もいました。

 

 

  さて、今回は、ここまでとします。この後、一体どんな展開になっていくのでしょうか? 次回もお楽しみに‼️

 

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※ⅰ 今思うと、だからこそ私が狙われたのかもしれませんが(顔を見て判断された?)

 

  

 

 

 

旧統一教会の勧誘の手口(実話です) ~前編〜

  こんにちは。今日は、私が実際に受けた、旧統○教会の、勧誘の手口を皆さんに共有しようと思います。学生の方、特に大学1年生の方やこれから大学に入る方には気をつけて頂きたいです。

 

  あれは6年前の春の、桜が散り始めた頃でしょうか。当時私は、青山学院大学の1年生でした。辛い受験勉強の末に、第一志望では無かったものの難関大学の一角である青学に入ることが出来て、浮かれていました(ある意味では、調子にも乗っていましたが、この体験でお灸を据えられた気がします💦)。

 

  その日、私は青学の地下食堂で、1人でスマホを見ていました。すると、メガネをかけた一人の男が声を掛けてきました。曰く、アンケート調査を行っているのだとか。この言い分が明らかにおかしいことが後で分かるのですが、まだ入り立てで何も知らなかった私は、少しも疑うことなく心を許してしまいました。

 

  アンケートの内容は覚えていないですが、多分新入生を対象にしたアンケートみたいなことを言ってたと思います。彼は(自称)インカレサークルの人で、今度合わせたい仲間がいるみたいなことを言ってきました。インカレサークルというのは、インターカレッジサークルの略で、複数の大学の大学生が所属するサークルのことです。まさかそれが 正体を隠した宗教の勧誘 だと思わなかった私は、連絡先を交換して、後日彼の仲間と会うことにしました。

 

  数日後、大学の構内で彼の仲間と会いました。構内のセブンで、ご親切にもコーヒーを奢ってもらったのを覚えています。

  その後、お昼を外で一緒に食べたのですが、その頃から徐々に彼らは正体を現してきます。

  メガネの男(もう名前も忘れました笑)が、「この学校は宗教校だけど、宗教には興味あるの?」みたいな質問をしてきました。

  私は正直に、キリスト教に関心があってこの学校を選んだこと、肉体は着ぐるみのようなもので、命の本質は魂だと信じていること、神は恐らく実在していると思うこと、輪廻転生のことも信じていること、を伝えました。相手方は、「なるほどね」と、否定も肯定もせず私の話を聞いてくれました。

  当時私はイエス=キリストを信じてクリスチャンになる前でしたが、ある程度の死生観は出来ていたのでした。

 

  その後、彼らは「見せたいものがある」と言って、私を教室の中に連れて行きました...

 

 

  さて、今回はここまでにします。果たして私はどうなってしまうのでしょうか!? 続きは、次回の記事に書きます。お楽しみに‼️

 

  読んでくださった方が、カルトではなく正しい教えから、この世のどんな財宝よりも尚輝く真理を見つけてくださることを、お祈り申し上げます🙏💭💗

 

   ヒカル

 

 

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