バプテスマのこがね

こんにちは。このブログを読みに来てくれてありがとうございます。私は、イエス=キリストを信じるクリスチャンです。私は、憧れの人イエスのように、優しく生きたいと強く願っています。そんな私が日々思ったこと、感じたことを書いています。

『心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう』~清い心の持ち主とはどんな人なのか?聖書から考えてみる~

  こんにちは。涼しくなってきましたが、皆様いかがお過ごしですか?

  

  私は寒さには弱い方なので、今のうちから来るべき冬に備えて対策をしようと考えています

(。`・ω・´。)

 

  さて、本日ご紹介する聖句は、マタイによる福音書、5章8節のみ言葉です。

  

『「心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう」』

 

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  世の中には、様々な価値判断の基準があります。その中でも、「幸せ」については、大きく意見が別れるテーマのひとつだと思います。

「お金を沢山稼ぐこと」が幸せという人もいれば、「結婚して家庭を持つこと」という意見もあれば、「仕事終わった後に、冷えたビール🍺を飲むこと」だと言う人もいます。

  もちろん、正解は人それぞれだと思いますが、

しかし、聖書では一貫して、『神に従い、生きることの幸せ』が説かれています。

 

  しかし、神様を信じるためには、ある程度の心の清さ(綺麗さ)が必要なようです。ただ、神様を信じているクリスチャンの心が、清いと言いたい訳ではありません。聖書によれば、人は皆神の前では罪人であり、生まれつきの義人 (正しい人)は、一人もいない のです。

 

  では、どうすればいいのでしょうか。

どうすれば、神様に心が清い、と認められるのでしょうか。 

  私は、清い心=正しい心 とも考えられると思います。

 

  そこで、聖書の中で正しい心について書かれているところを探してみました。

  すると、新約聖書の、『ローマの信徒への手紙』4章9節にはこう書かれていました。

 

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  『「アブラハムの信仰が義と認められた」』とあります。この場合の「義」とは、正しいという意味です。アブラハムとは旧約聖書の『創世記』の登場人物で、神を信じ、その信仰のゆえに子孫を星の数ほどに増やす、と約束された人物です。つまり、この箇所は、『神を信じるアブラハムの心が、正しい=清いと認められた』と、解釈出来ると思います!!!!

 

  ただ、そうは言っても、神様を信じてはいても、やはり罪を犯してしまうことはあります。

自分中心の心で、神様や隣人に迷惑をかけてしまうということです。

  しかし、それでも、『聖書の神こそ、信仰して従うべきお方である』と信じることで、少しは清い心の持ち主である、と認めてくださっているのだと思います。

 

  そして、神を信じる清い心を持つことで初めて、神様を見ることが出来るのだと、私は思います。

 

  ちなみに、後半の『神を見る』とは抽象的で難しい表現だと思いますが、私は「神様のことが分かる」とか、「神様のことを体感出来る」と解釈すれば良いと思っています※

 

  この記事を読んだ方が『神を見る』ことができるように、祈っています🍀*゜

 

    ヒカル

 

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