バプテスマのこがね

こんにちは。このブログを読みに来てくれてありがとうございます。私は、イエス=キリストを信じるクリスチャンです。私は、憧れの人イエスのように、優しく生きたいと強く願っています。そんな私が日々思ったこと、感じたことを書いています。

私の好きな御言葉③‐2 聖書の神は良い羊飼い ~ヨハネによる福音書より~

 

 今回は前回の記事の続きです。まずは,どんな御言葉だったかを振り返っていきましょう。もし可能でありましたら,その場で声に出して読んでみることをお勧めします!

 

 前回の記事↓

 

evahikaru.hatenablog.com

 

 

 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており,羊もわたしを知っている。それは,父がわたしを知っておられ,わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには,この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして,羊は一人の羊飼いに導かれ,一つの群れになる。(ヨハネによる福音書10章14‐16節)

 

 書き忘れていましたが,この言葉はイエスユダヤ人に対して語られたものです。

 

前後の文脈としましては,イエスは,生まれつき目が不自由だった人を癒しました。イエスは父なる神様から与えられた権限によって地上で様々な病をいやすことが出来ましたが,イエスがメシアだと信じたくなかったユダヤ人たちは,イエスが嘘を付いていると考えました。[1]

 

それに対して,イエスは自らがどのような者であるかを説明するために,上記の言葉を語られたのでした。

 

 ところで,前回皆さんに二つの質問を投げかけたと思います。①なぜ迷える「子羊」と言うのか?②牧師の名前の由来は?というものでしたね。皆さん答えは分かりましたか?

  ①の答えは,イエスが自らの弟子のことを羊に例えたからですね!羊という生き物は小さくて弱い動物です(モフモフで可愛い動物ではありますが)。単独では生きることが出来ず,群れで生きる動物です。でも,群れのリーダーがいなければ,それぞれが道に迷ってしまい散り散りになってしまいます。また,狼という天敵もいます。[2]

 

だからこそ,羊の群れには,羊を守り導くリーダーが必要なのです。私たち人類も弱く簡単に道を踏み外してしまうから,イエスという羊飼いに頼らなければなりません

 

 

  ②の答えも,やはり「羊と羊飼い」の関係に由来しています。「羊の群れ」を導く牧者(ぼくしゃ)という意味で,「牧師」と呼びます。ちなみに,キリスト教には3大宗派[3]がありますが,牧師がいるのはプロテスタントだけです。カトリックでは「司祭」(牧師),正教会では「主教」などと呼びます。

 

 念のため補足しますが,羊は家畜として飼われますが,イエス様は決して私たちの毛をむしり取ったり,その肉を食べたりしようとしているわけではありません(笑)あくまでも例えとして語られただけですので,ご安心ください。人類と神様の関係は永遠に続きます。

 

 さて,今日で終わらせるつもりだったのに,今回も書ききれませんでした(´;ω;`)

ということで,続きは次回のお楽しみn…っとあれ?あなたは一体・・・

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 このロボットは誰!? 詳細は次のブログで,次回もお楽しみにっ!!

 

 最後に少しお祈りします。出来る方は,心を合わせて一緒にお祈りください。 

 

 天の父なる神様 今日のこの時,生かされていることを感謝申し上げます。今日もこのブログに人を導いてくださったことありがとうございます。人を父なる神様のところへ導いてくださる,良い羊飼いであるイエス様を信じます。迷路のような人生の中でも,迷わずにこの方に一生付いていくことが出来ますように。私たちの信仰を強めて下さい。このお祈りをイエス=キリストのお名前によってお祈りします。アーメン

 

[1] 「メシア」とは何か,またユダヤ人がどうして信じなかったのかは,また別の記事で解説します。いずれも,福音書を読み解くうえでとても重要なテーマです。

[2] 「狼少年」の童話は,嘘を付き続けた羊飼いの少年が,狼に羊を全て食べられてしまう,という話です。やっぱり嘘は良くないですね…

[3]  カトリック正教会プロテスタントの三つです。私個人はプロテスタントの教会に所属しています。

 

※当ブログの聖書は,特に断りのない限りは日本聖書協会発行の新共同訳聖書から引用しています。また,当ブログは統一教会エホバの証人モルモン教とは一切関係がありません。