わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており,羊もわたしを知っている。それは,父がわたしを知っておられ,わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには,この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして,羊は一人の羊飼いに導かれ,一つの群れになる。(ヨハネによる福音書10章14節から16節,太字は筆者による)
今日の聖書の御言葉は,ヨハネによる福音書からです。ヨハネによる福音書は,四福音書[1]の中の一つです。福音書(英語ではGospels)とは,「神からの喜ばしい救いの知らせをもたらした神の子イエス・キリストの教えと生涯についての人々の証言の記録」[2]であり,現在知られているイエスの言動の多くは,この四つの福音書が出典となっています。「ずばりイエス=キリストがどんな人か知りたい!」という方は,この4つの福音書のうちのどれかを読むことをお勧めします(個人的には一番簡潔にまとまっている「マルコによる福音書」がおススメなのですが,どれでも好きなものから読んでくださいね)。
また,私が今書いている「イエスってどんな人?(What is Jesus like?)」シリーズは,全て「マタイによる福音書」から引っ張っていました。これは深い意味はないのですが,とりあえず「マタイ」バージョンを作って,出来れば他の福音書版も作っていきたいな,と思っております。
さて,皆さんは「迷える子羊」という言い回しを聞いたことがあるでしょうか。なぜ迷える「子羊」なのか?また,「牧師」という言葉の由来を説明できますか?この二つの疑問に,今日の聖書個所から答えることが出来ます。まず,ここではイエスは,ご自分と私たちの関係を,羊飼いと羊に例えておられます。羊飼いは羊を率いる者=リーダーなので,イエス様は「私たち」のリーダーであられることが分かります。「私たち」とは,無論クリスチャンのことでもあります。[3]私たちはイエス様をリーダーであると信じたからこそ,信仰の道に入っているのです。なぜ信じることが出来たのか?それは「羊のために命を捨てる」方だと知ったからです。衝撃的なことに,この後,イエスは十字架にかけられ,殺されてしまいます。それは,彼が死に値する罪を犯したからではなく,ただ私たちの罪の贖いのために,命を捨ててくださったのです。これが,「わたしは良い羊飼いである。」と語られた真意です。
今回はここまでとします。最後に少しお祈りさせてください。
天の父なる神様。今日もこのブログに読者の方を導いてくださったこと,ありがとうございます。私は,イエス様が良い羊飼いであり,私たちのために命を捨てて下さったことを信じます。その最上級の愛を,一人でも多くの方が知ることが出来ますように。
このお祈りをイエス=キリストのお名前によってお祈りします。アーメン
※当ブログの聖書は,特に断りのない限りは日本聖書協会発行の新共同訳聖書から引用しています。また,当ブログは統一教会,エホバの証人,モルモン教とは一切関係がありません。
[1] 他三つは,マタイによる福音書,マルコによる福音書,ルカによる福音書です。「マタイ,マルコ,ルカ,ヨハネ」と覚えます。
[3] クリスチャンではない方のことでもあるのですが,それはまた後で説明します。