バプテスマのこがね

こんにちは。このブログを読みに来てくれてありがとうございます。私は、イエス=キリストを信じるクリスチャンです。私は、憧れの人イエスのように、優しく生きたいと強く願っています。そんな私が日々思ったこと、感じたことを書いています。

「~しなさい」という言い方は嫌だったけど、感じ方に変化がありました。

  こんにちは。イエス・キリストを信じるクリスチャンのヒカルです。

 

  今日は、恐らく多くの人が共感してくれるであろう話題についてです。「~なさい」という言い方への感じ方です。

 

  私は、この言い方が好きではありませんでした。例えば、数学の問題で、「次の式を計算しなさい」とか書かれているのが嫌でした。「~してください」なら、まだ良いのですが。

 

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↑こんな感じの問題。誰もが通る道

(画像は、イメージです。)

 

 

  ところで、私は聖書という書物が好きです。聖書には、「しなさい」という言い方が非常に多く登場します。聖書は1000ページ以上もある非常に長い書物ですが、恐らく「しなさい」の数は、軽く10000を超えているのではないでしょうか。

 

  私は、この言い方が正直あまり好きではありませんでした。むしろ少し怖さすら覚えていました。

  強い命令口調のようで、抵抗がありました。

 

  確かに、そういう言い方、使われ方をする時もあるでしょう。

  しかし、聖書とは、基本的に神の子であるイエス・キリストや、神様の言葉を伝えるメッセンジャーである預言者の口を通して語られる言葉です。イエス様は、無論父なる神様の言葉を伝えています。

  そして、ここからが重要なのですが、聖書の神様は、本来非常に情け深く、優しい方なのです。

 一例を示します。

 

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ルカによる福音書6章35節より

 

  例えば、ルカによる福音書6章には、『いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情深いからである』というイエスの言葉が書かれています(太字は筆者による)。いと高き方とは、イエスの父なる神様のことです。

 

  そのため、こんなにも優しいお方が強い命令口調で話す、命令するのだろうか、と私は疑問に思うようになりました。

 

  ところで、日本語は微妙な語尾のニュアンスでも言外の意味、意図を伝えることの出来る言語です。「〜してくれませんか?」という言い方ひとつとっても

 

①嫌そうな顔で強い語気で「してくれませんかぁ⤵」と言う(語尾を下げる)

②微笑みながら優しい口調で「してくれませんか⤴︎」と言う(語尾を少し上げる)

 

  この2つを比べると、前者は怒っていて、後者は

相手への思いやりの気持ちとリスペクトの気持ちを感じる人が多いと思います。

 

  実は聖書の「〜しなさい」も同様なのです。実際言葉にして読み上げてもらえばすぐにでも気づけることでしたが、ずっとぶんしょうとして読んでいたので、完全に盲点でした。

 

  つまり、聖書の神様(イエス様)も、私たちに微笑み掛けながら、『勇気を出しなさい⤴︎ わたしは既に世に勝っている。』(ヨハネによる福音書16:33)と仰っているに違いない、と私は確信しました

 

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