バプテスマのこがね

こんにちは。このブログを読みに来てくれてありがとうございます。私は、イエス=キリストを信じるクリスチャンです。私は、憧れの人イエスのように、優しく生きたいと強く願っています。そんな私が日々思ったこと、感じたことを書いています。

どうしたら「我らに罪をおかすものを我らがゆるす」ことができるのか(前編)

 今回はまず,「主の祈り」を紹介します。この祈りはイエスが弟子に対して直接「こう祈りなさい」と教えた祈りで,今でも多くのクリスチャンに親しまれている祈りです。

                              

   『主の祈り』

 

  天にまします我らの父よ

 

  願わくは御名を崇めさせたまえ

 

  御国を来たらせたまえ

 

  御心の天になるごとく

 

  地にもなさせたまえ

 

  我らの日用の糧を今日も与えたまえ

 

  我らに罪をおかすものを我らがゆるすごとく

 

  我らの罪をもゆるしたまえ

 

  我らを試みにあわせず

 

  悪より救い出したまえ

 

  国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり

 

   アーメン

(太字は筆者による)

 

 主の祈りは,我々人間が神様にお願いする形式の祈りです。「御名をあがめさせてください」とか,「毎日の糧(食糧)を与えてください」などと言っていますが,この「我らに罪をおかすものを我らがゆるす」という部分だけは,我ら(人間)がやる行為になっています。キリスト教においては隣人を愛することも大切ですが,同じように隣人の罪をゆるしてあげることも重要なのです。

 

 では,我達が隣人の罪をゆるすにはどうすればよいでしょうか。その前に,「罪」とは何か考えなければなりません。聖書によると,もともと罪は「的外れ」という意味だったそうです。それは,主なる神様の意志から外れている,という意味での的外れなのです。主なる神様は,私たちを創造された方であり,全ての人間を同じように愛しておられます。ですから,神様に創造された隣人を傷つけることも「罪」となるのです。具体的には,殴ったり蹴ったりして,人の体に傷をつけることは罪です。また,心に傷をつけることも「罪」です。隣人が大切にしているものを壊すことや,奪うことも罪なのです。法律で言うと,「器物損壊罪」や「窃盗罪」に当たるものですね。それから心を傷つけるという意味では,暴言を吐くことも罪に当たります。日本で生きていると,心を傷つけられる「罪」を経験する方が多いかもしれません。

 

 さて,問題は心が傷ついたときに,どのようにしてその人の罪をゆるすかです。これには色々な考え方,やり方があると思います。クリスチャンとしては,神様にお祈りすることが一番だと思っています。「神様,私の傷ついた心(体)を癒してください」と祈りましょう。ですが,そうはいってもすぐには「ゆるす!」という気持ちにはなれないと思います。お祈りをしても,すぐに傷ついた部分が治るわけではありませんし,その傷が深いほどゆるせるようになるのに時間がかかると思います。

 

 今回はここまでにします。次回は,どのようにすれば心,または体の傷を早く治すことができるのか,考えていきたいと思います。

 

 最後に一言お祈りいたします。

 天の父なる神様。私たちは,日々小さなことで腹を立ててしまいます。しかし,イエス様は「我らに罪をおかすものを我らがゆるすごとく我らの罪をもゆるしたまえ」と祈るように教えられました。神様,どうか私達が隣人の罪をゆるすことが出来るようになりますように。そのために必要な寛大な心と,知恵とをお与えください。

 このお祈りをイエス様のお名前によってお祈りします。アーメン!