(※この記事は、2022年5月11日に更新しました。)
こんばんは。今日も私のブログを読みに来てくださり、ありがとうございます。
今回の記事は、こちらの記事の続きとなっています。こちらをまだお読みでない方は、こちらの記事も併せてお読みください。
私は、4年前から神奈川県内の教会に通っているクリスチャンです。青山学院大学というキリスト教主義の学校に行き、聖書について学びました。
そんな私が、1番好きな御言葉で、かつ1番大事だと思っているの御言葉が、記事のタイトルにもなっている『わたしが求めるのは、憐れみであって、いけにえではない。』なのです。
聖書には、『憐れみ』という言葉が何度も登場します。私が使っている、「聖書」の無料アプリで検索したところ、『憐れみ』という言葉が、50箇所以上、ヒットしました。
それほどまでに、憐れみという言葉は、聖書に多く登場するのですから、神様が私たちに『憐れみ』を求めておられることが分かります。
生きるというのは、基本的に誰にとっても嫌なことです。嫌な人とも付き合って行かないといけないし、嫌いな上司とも仕事をしないといけない。時には、誰かを傷つけてしまい、深く後悔することもあるでしょう。
そんな私にとって、神様は希望の光なのです! 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない。』という言葉は、世の不条理や、不公平なことに心を痛めている私にとっては、大きな希望なのです‼️
私は、この箇所を読むと、神様の偉大な愛に心動かされて、泣きそうになります
( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`) これほどまでに、深く人類を愛し、互いに助け合うことを求められているお方がいることを信じることによって、私は今日も生きる活力を頂けているのです!
その意味では、神様は私に
『神様に一生ついて行きたい!』と思わせるほどの、素晴らしい方なのです✨
神様は、私たちが貧しさや食糧難で苦しむ隣人を見て見ぬふりをすることを、良しとされない方です。
神様は、富める者に、その財産を貧しい者に分け与えることをお望みになっています。
『イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。」』
(マタイによる福音書19章21節)
人類史上、このように素晴らしい教えがかつてあったでしょうか?😭😭
お金持ちの人は、多くの場合、お金を貯め込む傾向にあります。或いは、お高い高級品を買って、周りの人に見せびらかしたりもします。
ですが、そんなことをしても神様はお喜びにはなりません。悲しむ隣人を放置して、自分たちだけが喜びに浸っていても、それは虚しい快楽に終わります。
そんなことよりも、自らの財産を売り払ってでも、貧しい人々に施しをすること。この、勇気ある決断をお喜びになるお方です。
憐れみに由来する施しをすることによって、何が起きるか?まず、貧しい人々を喜ばせることが出来ます。次に、人の喜ぶ顔を見て、自分も嬉しくなります。そして、それをご覧になっている神様、の三者を喜ばせることが出来ます😊😇
それが、『天に富を積むこと』の意味です。
富は、天に積みましょう❣️
ちなみに、私は自慢ではありませんが、毎月「国境なき医師団」(略称:MSF)に寄付をしています。MSFに寄付をすることで、紛争地域で消えかかっている命の灯火に再び火を灯すことが出来ます。
それから、隣人を憐れむことは、何も遠い外国の人である必要はありません。
電車の中でお年寄りや妊婦さんに席を譲ることも、立派な憐れみを示す行動だと思います。
また、最近話題になっている、ヘルプマーク。これを付けている方が困っている様子である場合は、是非助けて頂きたいです。皆様の暖かいお心遣いを、よろしくお願いいたします。
↑ヘルプマーク。電車内でこのマークを見かけましたら、席を譲っていただきますよう、お願い申し上げます。
さて、今回はここまでとします。3回に分けて書いた、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない。』の記事が、皆様のより良い生活のお役に立つことを切に願います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。読者の方に、神様からの豊かな祝福のあらんことを祈ります。
God bless you ❣️