こんにちは。今日は、私が好きな賛美歌を紹介します。『いのちの光』という曲です。
皆さんは、賛美歌についてどのようなイメージをお持ちですか?「パイプオルガン」「ゴスペル」「ハレルヤコーラス」など、様々な言葉が連想されますが、多くの人は、「クラシックで荘厳」といった、そんなイメージをお持ちではないでしょうか?
私もかつてはそんなイメージを持っていました。しかし、そんな賛美歌のImageを覆す、素敵な出会いがありました。それが、「コンテンポラリー・ワーシップ」との出会いです。
コンテンポラリー・ワーシップとは、直訳すると「現代的な礼拝」という意味です。この形式の礼拝では、賛美歌も現代風のものが歌われます。比較的最近作曲されたもの(20世紀もしくは21世紀)が多く、演奏する人は、ギターやベース、ドラムなどの楽器を使って演奏します。伝統的な礼拝の形式よりも、自由度が高くかつ明るい雰囲気の礼拝です。
さて、そんなコンテンポラリー・ワーシップで歌われる代表的な曲が、『いのちの光』です。
今回は、この曲を紹介したいと思います。
「百見は一聞に如かず」(?) ※ ⅰということで、
とりあえず1回聞いてみてください。
『いのちの光』
作詞・作曲 長沢崇史
「尽きることのない
あなたの愛が わたしを包む
あふれる喜び すべてのものが あなたを歌う
闇を消し去る いのちの光 すべてを捨てた愛
手を伸ばして 光放て
あなたと歩む それは素晴らしい
いのちの日々よ」
他の賛美歌もそうなのですが、この詞は聖書に書かれている御言葉(みことば)を題材として書かれています。
この曲の場合は、ヨハネによる福音書1章が元になっていると思われます。
以下の部分です。
『言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。』とありますね。この光こそが、タイトルになっている『いのちの光』ということですね。そして、この言というのは、教会が信じているイエス=キリストのことを指しています。
キリスト教的世界観では、この世はサタン(悪魔)に支配された、闇の世と捉えられています。イエスとは、そんな暗闇の世界に降り立った、文字通りのメシア※ⅱ =救世主であると、クリスチャンには信じられています。私もそう信じています。
そして、『すべてを捨てた愛』とは、イエス=キリストが、父なる神の人類への愛を示すために、自らの命を捨てて十字架にかけられた出来事を指しています。
このように、多くの賛美歌の意味は聖書から紐解いていくことが出来ます。
賛美歌を聞く時に、「聖書のどの部分が元ネタなのか」を調べたり考えたりしてみると、面白いですね^^
このブログを読んでくださった方が、真の幸福を見つけてくださることを、祈ります🍀*゜
※ⅰ もちろん、正しくは「百聞は一見にしかず」です。
※ⅱ メサイアとも。
ヒカル
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